2019年8月25日

青山俊董老師の心づかい

塩尻無量寺の禅の集い
信濃結集は昭和四十年の以来
今年で五十三回目になるようです。

それぞれの控え室、
廊下などには
松原泰道先生の書、
坂村真民先生の「念ずれば花ひらく」の書、
大森曹玄老師の書、

そして、私の控えの間には
山田無文老師の書が掛けられていました。

青山老師が
あらかじめ私のことをお調べになって
私と縁のある老師方の書を
わざわざ掛けてくださっていたのでした。

こういうところに青山老師の
心づかいがうかがえて
感服しました。

横田南嶺

2019年8月25日

青山俊董老師

今や日本の仏教を代表する尼僧さまであり
曹洞宗愛知尼僧堂の堂頭老師

青山俊董(しゅんどう)老師のお寺である
塩尻の無量寺の「禅の集い 信濃結集(けつじゅう)」に招かれて来ています。

無量寺に向かっている車中でも、
高名な青山俊董老師にどのようにご挨拶すればいいか、
迷いながら到着。

臨済宗と違って、曹洞宗は「作法是れ宗旨」というくらい
威儀作法を大切にしている宗旨です。

たまに私のところにも
曹洞宗のお坊様が、相見に来られることがありますが
必ず正規の袈裟をかけて、大薫香をささげもって
恭しく三拝して挨拶されるのであります。

そこで、私も袈裟を持参し、寺から大薫香をもって法衣で
無量寺に向かいました。

しかしながら、細かい曹洞宗の作法が
わからないのでどうしたらいいのかと内心不安でした。

そんな状態で寺に着くと
なんと青山老師は、お庭の野点席でお待ちくださっていました。

そこで、一切堅苦しい挨拶はぬきにして
青山老師自らの野点の一服を頂戴しました。

塩尻は涼しく、藤棚の下で
日の光も遮られ、
吹く風も爽やかで、

青山老師にどのように挨拶するかなど考えていたのが
緊張感もほぐれ
長旅の疲れも吹き飛ぶおもてなしをいだきました。

講座は午前9時と午後2時、ともに90分二講座勤めました。

受講生は、150名ほど、皆さん熱心に聞いてくださりました。

青山老師が最前列で聞かれたのには恐れ入りました。

25日にもう一講座を終えてから
鎌倉にもどります。

横田南嶺

2019年8月24日

侍者のことば(養生ルネッサンス)

養生ルネッサンス講座に参加させていただきました。

あっという間の2時間の講義で
参加者の方々の熱心に学んでおられる姿に
管長も応えるかの様に力が入っていました。

マインドフルネスと巷で言われているものと
我々が携わっている禅との違い。

坐禅をし、己を調え、視座を高める。
その後、自分はどうするのか。

己のストレスから逃れるに留まらず
慈悲を養い、行動すること。

質疑応答の時間に
「管長は何故、その様に声が通るのでしょうか」
という問いがあり、

「丹田の力でしょう。」「後ろの人に声が通る様に話している。」
「技巧で話すのではなく、普段の心で。」
「日常が落ち着いているか。調えて過ごしているかが現れる。」

この様に答えておられました。

身をもって学んだ事、体得した物でなければ
人前で話す事はできない、と
管長はお話になっていました。

終わりに5分間の坐禅の時間がありました。
会場の後方で何か物が落ちた様な大きい音がしましたが、
止静が乱れる事はなく、咎める心はない。

清浄な空気で会場が一つになっている事を
皆が感じていたと思います。

21:00に講座が終わり、管長は翌日の法話の為に、
長野県塩尻市へ向かわれました。

侍者しるす

2019年8月23日

本当の禅?

本日都内において
「養生ルネッサンス講座」というのを担当。
今こそ学ぶ本当の禅という題で講演しました。

この題は、主催者が付けたもので
私の付けた題ではありません。

そこではじめに申し上げました。

「だいだい自分で本当の禅などと言っているところに
まず本当の禅はありませんでしょう。
本物は、自らを本物とはいいません。」

「もし本当の禅とはどんなものかと問われたら
こんな会場にいないで
早く家に帰って電気を消して眠ることでしょうね」
と話し始めました。

そこで
「飢え来たれば飯を喫し
困じ来たれば眠る」という禅語を紹介して
そこから
この講義のために用意した125枚のパワーポイントを
使って講演してきました。

この講演は一般の働いている方々のためのものなので
夜の七時から九時までの講演でした。

終わってつくづく感じましたのは
やはり夜は早く眠ることであります。

横田南嶺

2019年8月23日

侍者のことば(養生ルネッサンス)

本日、管長は午後から
都内で講演。
「養生ルネッサンス」という講座です。

これはまだ三十代の医師が、
西洋医学だけでは、限界を感じて
鍼灸師や指圧師などと手を携えて
病にならないための「養生」を学ぼうという企画です。

養生ルネッサンスのホームページによると
「養生」の定義は、
「人間が本来備える最高のちからを発揮するよう自らを整えること」。
つまり、いのちを活かす方法です。
古今東西の養生法を、現代に合わせた形で復活(ルネッサンス)させました。
というのであります。

その志す理念は尊いところがあるというので
管長も協力したのでした。

侍者しるす

2019年8月23日

合掌土偶

朝日カルチャーセンターにて
先日「花は合掌にひらく」と題して
合掌について講演しました。

するとその後
朝日カルチャーセンターの担当の方から
お礼の絵葉書を頂戴しました。

その絵は、合掌土偶。
講演の中でも、合掌の起源は古く
縄文時代の土偶にもあると話したのでした。
それに因んでの絵葉書です。
お心配りが伝わります。

曹洞宗の沢木興道老師が
「西洋人はラジオを発明たり飛行機を発明したりしたが、
東洋人はその代りに合掌を発明した。
この合掌を発明するために、
東洋人はどれほど長い間瞑想したか分らない。
実に微妙なことで、理屈ではない。
人間、こうやって合掌したら、
夫婦喧嘩もおさまるし、のぼせも下る。」とまで
仰せになっているほどであります。

日本人は仏教の渡来以前
縄文時代から手を合わせて祈っていたのでしょう。

合掌土偶の絵葉書礼状を有り難く
思いました。

横田南嶺

2019年8月23日

侍者のことば(全国私立教頭の会)

本日、管長は円覚寺信徒会館において
全国私立教頭の会の研修会で
講演されました。
題は「日本初の国難、元寇に立ち向かった執権北条時宗公と
 円覚寺を開創して両軍の霊を弔った無学祖元禅師」

円覚寺開創にまつわる元寇について語り
北条時宗公と参禅の師である無学祖元禅師との
問答やりとりなどを語っていました。

元寇の話の時には、さずが教頭先生方は
十分ご存じの内容だったせいか、
それほどの反応でもなかったのですが、

後半は、円覚寺開創の理念である
怨親平等の精神と
その思想のもととなる華厳の縁起思想について
語り始め出すと、多くの先生方も身を乗り出すように
聴き入っていたのが印象的でした。

「今日、怨みに対して怨みで報いる報復の連鎖が
繰り返される中、怨親平等の思想は大いに見直されるべきである」と
締めくくっていました。

約六十枚のパワーポイントを
管長自ら作成して熱弁。
写真は、西は東ヨーロッパから
東は中国朝鮮まで支配した最盛期の頃の元の領土を
示しているところ。

2019年8月22日

大阿闍梨来たる

塩沼亮潤大阿闍梨が
訪ねてきてくれました。

大阿闍梨とは
致知出版社とのご縁で懇意に
させていただいています。

今年の円覚寺夏期講座には
トリを務めていただきました。

今年の夏期講座最後の講演にふさわしく
聴かれた方はみな深く感動されていました。

情熱を持って、平易な言葉で
語りかける講演はすばらしいものでありました。

その阿闍梨が上京のついで、円覚寺にお立ち寄りくださいました。
最初は、私とどこかで食事をというお話だったのでしたが、

なんと有り難いことに、修行僧皆の分の
お弁当をお持ちいただいて
修行僧たちと共に語り合うという
とても貴重な機会を作ってくださったのでした。

夏期講座にお見えの折には
僧堂や舎利殿をご案内できなかったので
夕方からご案内して、
あとはお弁当を頂戴して、雲水達二十名ほどと
宗局の部員さん達もまじえて
懇談させていただきました。

雲水達も、あらかじめ皆
阿闍梨の『人生生涯小僧のこころ』を
読んで臨みました。

講演では語られなかった阿闍梨の
深い人生体験を拝聴することができました。

雲水の一名が
阿闍梨から御覧になると
われわれの禅の修行をどのように思われますかと
いう問いに
阿闍梨は一言「とてもぜいたくなものだと思います」と
仰せになったのが印象的でした。

「禅は姿勢を調え、呼吸を調え、こういう恵まれた環境で
薪でご飯を炊いて、静かに坐るというのは、
今の時代にあって
最高のぜいたくだと思います」と言われたのでした。

大阿闍梨の難行苦行から御覧になれば、
われわれ畑を耕し、薪でご飯を炊いて食べて
坐ってくらすなどというのは
たしかに最高のぜいたくをしているのでしょう。

有り難いと思わないとバチが当たります。

横田南嶺

2019年8月22日

今日よりも明日

昨日の夕方に、塩沼亮潤大阿闍梨様が円覚僧堂にお見えになり
管長と阿闍梨様を囲んでの会食の場にご一緒させていただきました。

食事の途中で、管長は修行僧から阿闍梨様への質問の場を用意してくださり
阿闍梨様から修行僧へ、沢山の有難いお言葉を頂戴しました。

「今日よりも明日」

阿闍梨様のこの言葉が一番印象に残りました。
日々の積み重ねを大事にしたいと思います。

侍者しるす

2019年8月22日

宗演老師の慈愛 その2

釈宗演老師の佐藤禅忠師宛てに出された
書簡を見ていると
宗演老師の弟子に対する慈愛の深さに
心打たれます。

大正五年、宗演老師が数え年五十八歳の折
円覚寺の管長に再任されます。

宗演老師は数え年三十四歳(満三十二歳)で管長に就任し
四十七歳で一度管長を辞任されたいたのですが
再び管長に就任されたのでした。

その時に、お住まいになっていた東慶寺も
人手が足りなくなってきたので
禅忠師に、修行半ばであるが
東慶寺に帰って自分の補佐をして欲しいと頼んでいます。

ただし、禅の修行は引き続き
円覚寺の僧堂師家になった古川尭道老師について
参禅できるように、尭道老師に頼んでおいたなどと
いう手紙も出されています。

ともかくも実にこまめによく手紙を書かれているなと
感じ入りました。

或る年には、宗演老師が『拈華微笑』という本を
出版することになり
その本の画を、まだ妙心寺で雲水修行中の
禅忠師に頼みます。
どんな構図の画にして欲しいなど具体的に指示した
手紙を出されたのが、その年の十二月二十一日。

頼んだ画が届いたという禅忠師への礼状を
出しているのが、
年の暮れの十二月三十一日。

禅忠師に、典座という雲水達の食事の世話をする
役目にありながら、よく短い期間で画いてくれたと
お礼を述べられています。

依頼の手紙からお礼の手紙までの間が十日間。
当時の郵便は、今のように翌日届くものではないでしょうから
本当に頼まれてすぐ禅忠師は画を描いて送ったのでしょう。

僧堂の雲水であり、典座など勤めていますと
とても昼間に画を描くわけにはいきません。
おそらく、夜皆が寝静まってから
ろうそくの明かりを外にもれないようにしながら
画かれたものと察します。

師匠の慈愛の細やかなることと
その師の慈愛に報いようと夜中に画を描く弟子の姿が
思い浮かんできます。

手紙の中には、右肘が痛んで困るのだという記述もありました。

多くの人の求めに応じてたくさんの書を書き
手紙を書いて、宗演老師もさすがに右肘を
傷めていたのでしょう。
その傷みに絶えながらも
せっせと弟子に手紙を書いて送る
老師の慈愛の深さには
ただただ頭がさがる思いなのです。

横田南嶺

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