2019年11月9日

悪人も仏心

盤珪禅師は、たとえ千人万人の人からうしろ指をさされるような悪人であろうとも決してその人の仏心が失われることはないと説かれました。

どんな悪事をはたらいたとしても、

「今日従前の非をしりまして、仏心で居ますれば、今日からは活佛でござるわひの」といって、今まで非を悔い改めて、本来の仏心に目覚めていれば、その日から生き仏であるというのです。

そこで盤珪禅師は、当時の大盗賊で「かっぱ」と呼ばれた者が、十手持ちになったという譬え話を用いられています。

盤珪禅師の修行道場では、いろんな問題を起こして、道場から追放されようとした者も、決して見放すことはなかったようです。

もとより、お釈迦様は、アングリマーラのような、今日でいえば無差別殺人を犯した者も、仏弟子になされています。

その折りのお釈迦様の言葉に、

「以前には悪い行ないをした人でも、のちに善によってつぐなうならば、その人はこの世の中を照らす。ー雲を離れた月のように。」(法句経173)とございます。

盤珪禅師は、お釈迦様以来の慈悲を実践されていたのでしょう。

これもまた、行うは難しであります。

最近、鍵山秀三郎先生にご縁の深い方から、

『トイレ掃除の奇跡 広島から暴走族が消え、荒れた学校が消えた』という新刊本をいただきました。



どんな人でも、一所懸命にトイレ掃除をすることによって、本来持って生まれた人間性が開花していく様子が、具体例として書かれています。感銘を受ける一書です。

盤珪禅師の言葉によれば、仏心は失われることはないのです。

横田南嶺

2019年11月8日

夢窓国師の教え

夢窓国師は、お寺の住職には三つのつとめがあると説かれました。

第一は、説法です。お寺では、お釈迦様の教えを説いて伝えることが一番大切であります。

次には、多くの人を集めること。

自然と多くの人が集まってくるようなお寺にすることは大切であります。

それから、伽藍やお庭など境致を整えること。

お参りした方が、自然と心のやすらぎを感じるようなたたずまいを保つことが大切であります。

そして、夢窓国師は、この三つをよく備えていたと言われます。

しかしながら、今日の臨済宗では、夢窓国師の教えを強調されることはあまりございません。

むしろ、何も語らず、黙っていることを美徳としたり、逆に布教熱心な和尚を敬遠したり、また人集めをするようなのことは世俗的だと言われることもあります。

夢窓国師も五十一歳で南禅寺にお入りになるまでは、ひたすら世間を避けて山中の暮らしを望まれていました。

しかし、その後半生は、鎌倉や京都を行き来しながら、多くの人に教えを説き、立派なお寺を建て、そこに多くの人を集めて善きご縁を結ぶように活動されました。

これは、臨済禅師の

「誰も寄りつかない山の頂上にいるのではなく、多くの人が往来する町の中で教えを説く」

という教えを受け継いでいます。

今の時代なればなおのこと、教えを説くこと、多くの人が集まるような寺にすること、そして境致を整えることの三つを大切にしてお勤めしなければなりません。

(円覚寺派寺院の晋山式での言葉)

横田南嶺

2019年11月7日

難行なしにー盤珪禅師の慈悲ー

自分自身で特別大変な体験を経たあと、それをどう伝えるか、人は二種類に分かれると思います。

一つは、自分がこんな体験をしたのだから、あとの者にも同じような体験をさせようという方です。

時には、自分が体験したこと以上の体験をさせようという人もいます。

禅宗には、こちらの方が多いと思います。

自分たちも若い頃僧堂で老師に鍛えられて苦労したのだから、同じ苦労をしなければ何も得られないという考えであります。

もう一つには、自分がこんな体験をしたのだから、こんな体験をあとの人には、もう決してさせたくないという方です。

盤珪禅師は、実に後者であります。

ご自身は、それこそ血の混じった痰を吐いて、このまま死ぬのかというまでに難行苦行をされました。

しかし、盤珪禅師は、あとの者にはこんな苦労をさせる必要はないとお考えになりました。

実に「慈悲」の人であります。

譬え話で、険しい山中を歩いていて飲み水が無くなった時、ある一人が谷底に降りて、水を汲んできて、皆に飲ませたとすると、苦労して谷底に降りて実際に水を汲んだ人も、何の苦労もせずに、その水をいただいた人も、同じように渇きはやむのだと説かれました。

ですから、盤珪禅師は、自分が苦労して体験した事を、そのまま話をして聞かせ、皆は聞いてそのまま受け止めればいいのだと仰せになったのです。

「人人具足の仏心其まま用ひ得て、迷の難行なしに、心の安楽を得たる事、たつとき正法にあらずや」と語録には説かれています。

人皆は誰しも、生まれながらに尊い仏心を具えているのだ、そのことを聞いて納得して安心すればいいのだと、何もわざわざ迷い苦しむ難行をすることなしに心の安楽を得られるのだと示されました。

盤珪禅師が慈悲の人であることは、この上なく尊いと思いますが、それをそのまま鵜呑みにしてしまって、努力しない者が増えてきたから、後に白隠禅師は盤珪禅師の一門の方々を批判されるようになってゆきました。

なかなか、難しい問題です。

横田南嶺

2019年11月6日

盤珪禅師の言葉に学ぶ

連休明けの五日は、早朝に寺を出て上洛、花園大学にて講義。

今年は、禅僧の言葉に学ぶというテーマで、毎月一人の禅僧を取り上げてお話しています。

今月は、盤珪禅師の言葉を学びました。

鎌倉時代に、中国から禅が伝わって、はじめの頃は、漢文で問答して修行されていました。

仮名法語などもありましたが、やはり漢文の語録が中心でした。

それが、江戸時代の盤珪禅師になって、当時の方言も交えた言葉で、わかりやすく庶民に語りかけるというようになり、禅が日本の国の教えとして根付いたと言うことができます。

「人々皆親のうみ附てたもつたは、仏心ひとつで、よのものはひとつもうみ附はしませぬわひの。」

生まれつき短気で困るという者に対して語った言葉です。

短気などというのは、生まれつきではない。

自分を可愛く思いすぎるので、自分にとって不愉快なもの、不都合なことに腹を立てるだけで、

短気を親から産み付けられたと思うなどは、親不孝だと説かれました。

そして、人は誰しも親から産み付けてもらったのは、仏心だけであり、それ以外のものは産み付けられてはいないのだと、「ござるわいの」という独自の語り口で説かれたのです。

たとえ、どんな悪人であっても、仏心のあることに変わりはなく、思い改めさえすれば、そのまま仏心だと説かれました。

また、居眠りしていた修行僧を、叩いた僧がいると、叩いた方の僧を叱ったのでした。

眠ったからといって、仏心がほかのものに変わってしまうことはないというのです。

眠るのも仏心、仏心で寝ていると説かれました。

盤珪禅師の語録を読んでいると、どこまでも不生の仏心ひとつで、痛快であり、心が明るくなります。

ちょうど天候もよろしく、雲一つない秋空で、盤珪禅師の言葉を学んで、晴れ晴れとした気持ちになりました。

横田南嶺

2019年11月5日

阿闍梨様の書

塩沼亮潤阿闍梨様のお寺にうかがい
阿闍梨様のお部屋にお邪魔すると、ご自身の色紙がございました。



きのうまで
流した涙が
雨となり
悟れや悟れと
はげます
雨音


と書かれています。
ご自身が、千日回峰行の最中、山の中で雨に打たれて
出てきたお言葉だとうかがいました。
もう一枚は、



くず湯二杯で四十八キロ
あるいた お中(腹)がとおり
食べてもすぐでてくる
苦しくてないて 誰も
いない山で……部屋に
かえったら涙がとまら
ない 体がふるえて
よくいってきた
四百九十四日


墨がにじんでいるところは
実際の涙のあとだそうです。

「くず湯二杯で四十八キロ」

平坦な道でもたいへんなことです。
それが険しい山道ですから、想像を絶します。
そんな絶望を
おそらく何度も何度も
乗り越えて
今の阿闍梨様のすてきな笑顔があるのだと思います。
書もすばらしく
言葉も詩になり、歌になっています。

横田南嶺

2019年11月4日

阿闍梨様のお寺慈眼寺へ

連休の最中に、塩沼亮潤大阿闍梨との対談本を作成するべく、先日の円覚寺での対談に続いて、宮城県は秋保にある阿闍梨様のお寺慈眼寺にまいりました。

仙台の駅から、小一時間ほどで着くところにあるのですが、折から紅葉の季節で、それに連休でもあって、一時間少々でお寺に着きました。



本日は、阿闍梨様が月に二回、お護摩を焚かれる日で、大勢の方々が集まっておられました。

慈眼寺は、大阿闍梨が、千日回峰行を終えたあと、ご自身のふるさとに土地を求められ、

本堂などの伽藍を自ら設計され、お庭もすべて自らお作りになられたお寺であります。

広い境内に、本堂も立派で、お庭も自然ですばらしい境致であります。

お護摩は、午後一時から一時間少々行われました。

禅宗では、あまり祈祷ということをいたしませんので、他宗の祈祷にお参りさせていただくということは貴重なことです。

それぞれの方が願い事を書かれた護摩木が供えられていて、たくさん焚かれるのです。

はじめは、あんなにたくさんの願い事を、どのようにして聞き届けられるのかと思っていました。

家内安全から、病気の平癒、合格祈願までさまざまでしょう。すべてを聞くことは無理だと思ったのです。

合格祈願ですと、一人の願いを聞き入れることは、誰かを落とさなければなりません。

お護摩の修法は、太鼓が鳴らされ、法螺貝が吹かれて、勇壮な雰囲気の中で行われます。

印を組んで、作法に則り、護摩壇に火がともされ、阿闍梨様は膨大な護摩木を、手で鷲づかみにして、火中に投じられます。

あまりにも数が多すぎるので、手で持てる限りの護摩木を持ってそのまま火中にくべられますので、一本一本の願いも名前も見ることはできません。

そして、次々と火中に投じられ、どんどん焚かれます。

たくさんの護摩木はやがて大きな炎となってゆきます。

そんな情景を拝みながら、様々な個別の願い事が、この火の中に投じられることによって、浄化されて、みほとけの大いなるみこころと一つになってゆくのだと感じました。

阿闍梨様は、多くの人たちの願い事を、皆一度我が身に引き受けられて、みほとけのみこころ一つに浄化なさっているのだと気がつくことができました。

すると、こちらも有り難い炎に包まれて、身も心も浄化されて、大いなるみほとけのみこころと一つに溶け合ってゆく思いに浸ることができました。

護摩修法というのは、こうして行われるのだと深く感銘を受けました。

阿闍梨様の清澄な祈祷のお声が清々しく、大勢の方々がお集まりになるのがよく分かりました。

海外からお参りに見えた方もいらっしゃるようでした。

阿闍梨様は、鎌倉から私が参列していることを皆様にご紹介くださって、大阿闍梨には及びもつかぬ凡僧は恥ずかしい思いでした。

横田南嶺


(写真は慈眼寺の入り口と護摩修法を終えられた阿闍梨様と)

2019年11月3日

茶の木には茶の花咲いて

土曜日には、午前中に兼務寺院の法要に出向。

先代の住職のご親族にあたる方の一周忌法要を務めました。

先代は、私の得度の師匠であります。

ご親族の方ですので、私も学生時代からよく存じ上げている方でした。

まだ六十代で、昨年の暮れにお亡くなりになって、少し早めての一周忌法要でした。

ごく親しくさせていただいていた方なので、読経をしながらも、

あれこれと学生の頃からの思い出が浮かんできます。

そなえられた遺影に目をやると、ありしの日のおもかげが浮かんで、こみ上げてくるものがあります。

読経を終えて、お墓にお参りして更に読経。

折から、境内の木々も少しずつ紅葉をはじめ、

「秋深し、悲しみ更に 新たなる」

句ならぬ句を口ずさむ。

墓前で読経していると、目の前に茶の木の花が咲いていました。

俳人山頭火の「光あまねく 茶の木には 茶の花咲いて」の句を思い出しました。

はかなく消えゆく命に思いをはせながら、

目の前には、ひっそりと咲く茶の木にミツバチが懸命に蜜を取っています。

命のはかなさと共に、眼前の小さな命あるものの輝きを感じていました。

深き悲しみを抱いて、それでも人は生きてゆきます。

横田南嶺

2019年11月2日

月の石を硯に

製硯師の青柳貴史さんのお話をうかがってきました。

青柳さんは、浅草の宝研堂の四代目、製硯師とは、石の切り出しから、加工、研磨まで硯のどんなことにも対応できるプロという意味らしく、日本では、貴史さんお一人とのこと。

先日、宝研堂にうかがった折には、ご不在で、このたび初めてお目にかかってお話を拝聴しました。

講演といっても、数人の集まりなので、間近で拝聴できました。

お話もお上手ですし、なんといっても眼がきれいな方でした。

澄んだまなざしで、人を惹きつけるものをお持ちだと感じました。

青柳さんの活動については、ご著書『硯の中の地球を歩く』を読んで、おおむね学んでいたのですが、直接お話をうかがえると、一層理解が深まりました。


新しいプロフィールに、「2019年 世界初、月の石の硯化に成功」と書かれていましたので、質疑応答の時間に尋ねてみました。

どうして月の石を硯にしようと思ったのですかと。

すると、北海道に硯になる石を探しにでかけ、ある時どうにもみつからずに、ふと夜空を仰いだら、お月様が輝いていて、その月の石で硯を作って墨をすったらいいだろうと思ったというのです。

月を仰いで、月の石で墨をすろうなどという発想は、詩人でもあります。

小学校などに講演に出かけて、子供達に、月の石での硯だというと、皆興味を示すそうです。

青柳さんは、情熱を持ちながらも、爽やかな方で、それでいて詩的だなと思いました。

一度、その月の硯を見てみたいと思ったら、今月都内で開く個展に出陳されるようで、チラシをいただきました。



上京のついでに、是非拝見してこようと思います。

横田南嶺

2019年11月1日

霜月・11月の詩(黄梅院掲示板)

横田南嶺老師揮毫、坂村真民さんの詩です。

円覚寺山内・黄梅院の山門下にある掲示板にて、実物はご覧になれます。

2019年11月1日

11月の詩(ご朱印お守り受付所の掲示板)


総門のご朱印・お守り受付の奥に 管長揮毫の坂村真民さんの詩が掲げられています。

ご来山の折にどうぞご覧ください。

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